「こんな服を着たい」、「こんな人になりたい」といったように、装いには人間の思いがしばしば映しだされる。着る人の情熱や願望=「LOVE」を受け止める存在としてのファッションに着目し、約130点の衣装や現代アート作品を紹介する展覧会「LOVE ファッション—私を着がえるとき」が、京都や熊本を経て東京に巡回。東京オペラシティアートギャラリーにて、2025年4月16日(水)から6月22日(日)まで開催される。
展覧会「LOVE ファッション—私を着がえるとき」では、装うことへの人間の欲望に着目しつつ、18世紀から現代までのファッションを紹介。京都服飾文化研究財団(KCI)の衣装コレクションを中心に、川久保玲のコム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)や山本耀司のヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)、カール・ラガーフェルドによるシャネル(CHANEL)、クリスチャン・ディオールやジョン・ガリアーノによるディオール(DIOR)、ガリアーノによるメゾン マルジェラ(Maison Margiela)、ラフ・シモンズによるジル サンダー(JIL SANDER)など、国内外の多彩なファッションを一挙公開する。
ファッションが「こんな自分になりたい」といった情熱や願望を映しだすように、装うということは、服を身に纏う「自分」という存在に働きかけるものだといえる。本展では、現代を生きる人々の多様な「自分」のあり方に光をあてる、現代美術の作品も紹介。衣服や装飾品、現代アートの作品を通して、「着る」ことにまつわる欲望の形を浮かびあがらせてゆく。
全5章構成のうち、チャプター1「自然にかえりたい」では、草花や動物など、自然に対する思いに着目。かつて人類は動物の毛皮を身に纏って装いとし、草花で身を飾ったように、人間にとって自然は、装うことと身近な関係にあったといえる。そのためだろうか、人々は今なお衣服を草花のモチーフで彩り、暖かなファーでコートを仕立てている。
たとえば、鮮やかな草花をモチーフに、刺繍やプリントなどを施した衣服。18世紀のドレス「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」や19世紀のスーツ「アビ・ア・ラ・フランセーズ」には、刺繍などを用いて、色とりどりの花々が表されている。また、現代の衣服にあっても、刺繍レースを用いたマメ クロゴウチ(Mame Kurogouchi)のドレス、ヴィヴィッドな赤い花咲くバルマン(BALMAIN)のイヴニング・ドレスなど、ドレスは華麗な花々で彩られ、あるいはジョナサン・アンダーソンのロエベ(LOEWE)のように、ヒールを花のモチーフで置き換えたミュールまで登場している。
また、動物のファーやフェザーは、古くから富や権力の象徴として用いられてきた。会場に展示されている、ダチョウの羽根を使ったウォルト(Worth)のドレスは、こうした例だろう。一方、現在では、動物保護の観点からファーの使用は控えられつつあるものの、その豊かな手触りは今なお人々を捉えてやまないようだ。ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)のコートにはなめらかなラムファーが、ステラ マッカートニー(STELLA McCARTNEY)のコートには、毛皮の質感を模したフェイクファーを用いているし、ぬいぐるみを蝟集したカステルバジャック(CASTELBAJAC)のコートは、毛皮に対する強烈な愛着を、ある種のユーモアとともに表現しているかのようだ。
さらに、小谷元彦の《ダブル・エッジド・オヴ・ソウト(ドレス2)》は、実際の毛髪を用いてドレスをかたち作ったもの。人間にわずかに残された体毛である毛髪を用いることで、ファーに対する変質的なまでの欲望を体現したものだと捉えられるだろう。
チャプター2「きれいになりたい」では、美を求める思いに培われた造形を紹介。「こんな服を着たい」、「こんな自分になりたい」と思うとき、そこでは衣服を着ることを通して、美の理想が追求されている側面があるといえるだろう。美への欲望は、なるほど優美なドレスの数々を育んだだろうけれども、時として身体を傷みつけ、自然なシルエットをデフォルメし、奇抜なフォルムすら生みだしてきた。
本章でまず紹介するのは、美への欲望から生まれたドレスなどだ。バックが大きく膨らんだバッスルシルエットによる、クリスチャン・ディオールのイヴニング・ドレス。スリムなボディと膨らんだスカートがコントラストを描く、クリストバル・バレンシアガのイヴニング・ドレス。ウエストを極度に絞った、ガリアーノによるディオールのスーツ。ハリのあるフェルトが半ば自律的なラインを描く、ヨウジヤマモトのドレス。時に偏執的ともいえる造形の隣には、理想的な身体をドレスで体現すべくウエストを絞った、19世紀後半のコルセットを展示している。