2025年7月4日(金)公開の映画『夏の砂の上』にて、主演を務めるオダギリジョーと、共演の髙石あかりにインタビュー。
雨の降らない長崎を舞台にした、松⽥正隆による戯曲「夏の砂の上」を実写映画化。物語の主人公は、息⼦を亡くした喪失感から⼈⽣の時間が⽌まり、妻からも⾒限られてしまった男・⼩浦治だ。妹が置いていった17歳の姪・優⼦との突然共同生活を送ることになり、それぞれの痛みと向き合いながら⼩さな希望の芽を⾒つけていく姿を描いている。
今回、治を演じるオダギリジョーと、姪の優子を演じる髙石あかりにインタビューを実施。オール長崎ロケで撮影された『夏の砂の上』における、どこか懐かしい作風や2人が感じた長崎の魅力、そして芝居との向き合い方まで、じっくりと話を伺った。
オール長崎ロケでの撮影となった映画『夏の砂の上』ですが、実際に滞在されてみて知った“長崎の良さ”を教えてください。映画の撮影で使われていた治の家のように、坂の上に泊まられていたのでしょうか?
髙石:はい、結構山の上の方に1ヶ月ほど滞在していて。ホテルっていうより、旅館っぽい感じでした。
オダギリ:僕は、長崎の街で撮影をしたのは初めてだったのですが、土地柄が魅力的ですよね。海を囲んですり鉢状に山があり、カメラを山に向けてもと海に向けても、どこを撮っても画になるんです。東京では見た事のない、細く曲がった坂があって、そこに家がひしめき合って、という日常風景も素晴らしかったです。
髙石:私は1回長崎に住みたいって思った時がありました。山の上に宿泊していたので、下の街に降りるには時間をかけて坂を下るか、急な階段を駆け下りるか、タクシーか、の3択だったのですが(笑)。ゆっくり坂を下りてみようと思って歩いていたら、部活の男の子たちが、わーって勢いよく坂を走ってきたんです。そんな時、故郷が長崎だったらとふと想像してしまうこともありました。
オダギリ:撮影場所だった家のすぐ下には猫が3匹ぐらいずっといて、長崎ってどうやら猫の街らしいんです。
劇中でも何度か、猫が登場していましたね。
オダギリ:東京では、最近野良猫をあまり見ないじゃないですか。和洋中が織りなすレトロな雰囲気の街並みや、そこで働く人たちも含めて、長崎らしさを感じられた気がしています。
ちなみにお2人は、都会と田舎、どちらが好きだと思いました?
髙石:私は田舎の方が好き。地元、宮崎の山や海に囲まれて育ったので、休みの時は自然に触れたい派です。
オダギリ:僕はどっちでも大丈夫です。基本的には外に出ないので(笑)。
髙石:あー(笑)。
インドア派ということで(笑)。
オダギリ:そういうことですね(笑)。
続いて俳優業についてお聞きしたいのですが、お2人が作品に関係なく、演じる上で心がけていることは何ですか?
髙石:作品によって違うので難しいのですが、カットがかかったら自分に戻る、フラットに戻ることは意識しています。
オン・オフを意識的に行っている?
髙石:はい。ただ『夏の砂の上』は例外で。オン・オフが限りなく少なくて、そのまま日常の延長だったような気がしています。作品と現実の境目が曖昧だったというか。
なぜ境界線がないように感じたのでしょう?
髙石:オダギリさんはじめ、共演者の皆さんが本当に作品の世界を生きている感じで、お芝居をしていないように見えたんです。
とてつもない集中力だと思うんですが、同時にリラックスされているのが伝わってきました。そのおかげで私もアクションがかかった後も、心はリラックスしていました。
作品の世界観にどっぷり浸ることができたのですね。
髙石: そうですね。撮影期間中、ずっと長崎で過ごせたことも大きいと思います。
オダギリさんは、芝居について心がけていることはありますか?
オダギリ:極論を言うと、芝居って誰でもできるんです。皆さん、普段から芝居してますよね。会社や家庭、恋人との間でも、なにか問題が起きると無意識に芝居しちゃうじゃないですか(笑)。
芝居自体は特別なことではないという前提のもと、芝居の面白さや深さがどこで変わってくるか?といったら、芝居する人間がどれだけ豊かな感性を持っているかどうかなんです。だから自分は、できるだけ感覚や感性を常に磨いて、いろいろな経験を重ねていくことを大切にしています。その積み重ねが結果的に芝居に大きく影響していくので。
普段からいろいろとインプットされているのでしょうか?
オダギリ:もちろん。家から出なくても、インプットしています(笑)。
髙石:あれ?(笑)
オダギリ:とにかく…色々なことです(笑)。なんでも吸収したいと思っています。
それらを『夏の砂の上』ではどのように落とし込まれました?
オダギリ:全てに関わりますよ。動きにしても、セリフの出方にしても、その1つ1つが演者の感性や人間性が表に出るものですからね。基本的にどんな役でもそうだと思っています。
では、俳優人生におけるターニングポイントとなった作品はありますか?
髙石:今作は、私にとってターニングポイントになると思います。映画というものへの考え方や脚本の読み方、現場の居方…自分の中の価値観がガラリと変わりました。長崎で共演者の方々とかけがえのない時間を過ごし、多くのものを吸収することができました。
オダギリ:なかなか答えにくい質問ですね。初めて主演を務めた映画『アカルイミライ』は、映画というものを学んだ場だったと思います。黒沢清監督の影響も大きいですね。黒沢監督の演出は独特なんです。芝居の付け方など全てにおいて“黒沢監督らしさ”があるので、今後もこういう映画をやりたいと心が決まった作品かもしれません。
どのような現場だったのでしょう?
オダギリ:ほぼほぼ本番は1回だけなんですよ。カットを重ねたり、時間をかければいいわけじゃないんだ、と実感しました。芝居に関しても、何かを表現しようとするたびに「芝居しないでください」と言われ続けました。
その時の自分は、“この作品に俳優人生を全てかける!”という意気込みで参加していたので、自分の持てる力を全力で注ぎたいと思っていたんです。黒沢監督からしたら、それが過多だったんでしょうね~(苦笑)。必要以上の芝居をするたびに「芝居をしないでください」と言われ続けましたね(笑)。
監督は何を引き出したかったと思いますか?
オダギリ:“引き算”だったのかなと思います。表現って、足せば足すだけ濃厚になるとは限らないんです。受け手の想像力を引き出すために、無駄なものをそぎ落としていくこと。究極ですよね。
映画『夏の砂の上』について、面白いと感じたポイントをお聞かせください。またそれをどのように表現しようと考えましたか?
髙石:言葉が限られている中で、脚本のセリフに直接的なことが書かれていないのが印象に残っています。今までは人物の気持ちが分かりやすく書かれていることのほうが多かったので、こういった脚本は初めてに近くて…
最初は、優子は何を考えているんだろう?難しいな、わからないな、って思うことが多々ありました。でも改めて振り返ると、その人物について思いを馳せる時間が、こんなにもキャラクターを魅力的にするし、自分の思考も深まることがわかって。深く考えることの大切さを学びました。
オダギリ:脚本を読んで感じたのは、自分が俳優を始めた頃のような“懐かしさ”でした。というのも、2000年代初頭は多種多様な日本映画が存在していたんのです。優等生な作品もあれば、とんでもないわがままな作品もあって、面白がられる土壌の豊かさがありました。でも、だんだんその幅が狭くなっているんですよね。映画界に生きる者の1人として、作家性や芸術性を忘れたくはないですし、そうした作品を作ろうとするこのチームは、久しぶりに気骨のある映画人を見たようで、勇気を貰いました。
オダギリ:『夏の砂の上』を今の観客の方々が求めてくれたら嬉しい。と同時に、想像する以上の作品に出来るよう、プロデューサーとして尽力したいという思いでした。
「自身の経験も作品に盛り込めたら」とおっしゃられているコメントを拝見したのですが、具体的にどのようなことを意識されていましたか?
オダギリ:自分もたまに映画を作りますし、その時は自分で編集や音作りもかなり細かく作り込みます。そうした仕上げ作業こそ、自分の経験やアイデアを活かせると思うので、⽟⽥監督のやりたい事を聞き出しつつ、そのためにはここの編集を変えた方が良いとか、その意図を活かすためには、こういった音を加えることで、補足になり得るかもしれない…といったようなアイデアを惜しむことなく提案していました。
結果として、上海国際映画祭で審査員特別賞という名誉をいただけたので、安心しましたね(笑)。自分のアイデアを押し付けただけだと、単なる老害じゃないですか(笑)。みんなでこだわったからこそいただけた賞だと思うので、改めて嬉しく思います。
【詳細】
映画『夏の砂の上』
公開日:2025年7月4日(金)
監督・脚本:⽟⽥真也
出演:オダギリジョー、髙石あかり、松たか子、森山直太朗、高橋文哉、篠原ゆき子、満島ひかり、斉藤陽一郎、浅井浩介、花瀬琴音、光石研
⾳楽:原摩利彦
原作:松⽥正隆(戯曲「夏の砂の上」)
配給:アスミック・エース