映画『宝島』が2025年9月19日(金)に公開される。大友啓史監督に映画、そして沖縄への想いを聞いてきた。
映画『宝島』は、第160回直木賞に選出された真藤順丈の小説「宝島」を実写化した作品。1952年、アメリカ統治下の戦後沖縄を舞台に、自由を求め、混沌とした時代を懸命に生き抜いた若者たちの約20年間の物語。
これまで、大河ドラマ「龍馬伝」や『るろうに剣心』シリーズ、『レジェンド&バタフライ』などの大作も手掛けてきた大友啓史が圧倒的な熱量と壮大なスケールで描き出す。
米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”たちの物語
◆戦果アギヤーの4人
グスク(妻夫木聡):オンの親友、ヤマコとレイの幼なじみ。オンの率いる戦果アギヤーとしてアメリカと戦い、消息を絶ったオンを探すために刑事となる。
ヤマコ(広瀬すず):オンの恋人。オンが戦果アギヤーの戦果で建てた小学校の先生になり、最愛の人の帰りを待ちつづけながら、基地反対・祖国復帰運動に積極的に参加していく。
レイ(窪田正孝):オンの弟。戦果アギヤーとして嘉手納基地に忍び込み捕まる。17歳だったが、基地を襲った凶悪犯として大人の刑務所へ送られる。ヤクザとなり、刑事のグスクと距離を置きながら独自にオンを探す。
オン(永山瑛太):グスク、ヤマコ、レイの3人が慕うコザの英雄。戦果アギヤーのリーダーであり、町の英雄的存在である。ある夜、嘉手納基地に忍び込むが、途中でグスクたちと離れ離れになり、その後行方が分からなくなる。
米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”である、幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。町の英雄的存在であり、みんなを引っ張っていたのが、一番年上のリーダー・オン(永山瑛太)だった。そしてある夜、大勝負となる基地襲撃を仕掛けたが、オンは突然消えてしまった。
襲撃から6年後、グスクはオンを探すために刑事に、ヤマコはオンと約束した教師に、レイは刑務所に入り、オンの情報を収集した後、ヤクザとなり、3人別々にオンの影を追い続けていた。しかし、戦後から今まで何も変わらない現実にやり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに沖縄県民の抑えていた感情が爆発し、コザ暴動へと発展する。
コザ騒動とは?
1970年12月20日未明、沖縄県コザ市(現沖縄市)で発生した騒動。米軍への不満から、約5000人の群衆が米軍関係車両を次々と焼き討ちにする騒ぎへと発展した。大規模な騒動ながら、死者は1人も出なかった。
重要な場面であるコザ暴動シーンは、米軍が引き起こした交通事故を契機に、沖縄県民の溜まっていた鬱憤が爆発するところからスタート。車から米軍を引きずり出し、車をひっくり返したり、物を投げつけたり...今までの仕打ちに対する憂さ晴らしが加速する。
この日は、そんなコザ暴動の渦中で、刑事になったグスクがヤクザのレイを見つけるシーンを撮影。長年まともに話すこともなく、すっかりすれ違ってしまっていた2人が6年ぶりに遭遇し、米軍基地へ侵入して対峙する、物語の要となる場面だ。沖縄県民の沸々とした怒りが放出された“伝説の一夜”のシーンは、一体どのように制作されているのだろうか?監督である大友啓史へのインタビューを交えながら、映画で描きたかったことについて聞いてきた。
撮影現場となった都内・東宝スタジオの扉を開くと、1970年の沖縄にタイムスリップしたかのような異世界が広がっていた。アスファルトを敷き詰めた車道には、コザ暴動と同じく、実際に燃やされたアメリカ車や横転させたパトカーが立ち並び、沖縄県民の強い憤りを感じられる。信号から電柱、標識や貼り紙、自転車、コカ・コーラやセブンアップなどの空瓶に至るまで、当時の街並みがリアルに再現された、圧巻のセットだ。
嘉手納基地に立ちはだかるフェンス前では、アメリカ軍が盾を持ちながら一列に広がり、暴動を抑制中。このシーンには、最終的に延べ2,000人を超えるエキストラが参加。米軍へ怒りをぶつける声出しからスタートし、列の調整や画変わりのための順番、米軍への詰め寄り方など、大友監督の指示のもと、念入りに動きを確かめていた。
現場の熱量が徐々に高まっていく中、グスク役の妻夫木聡が現場入り。妻夫木は、コザの町を舞台にした映画『涙そうそう』でも主演を務めており、コザに対して深い思い入れを抱いている。続いて、世間とは距離を置き、孤独と闘いながらオンを探すレイ役の窪田正孝もセット入り。窪田は撮影の合間に、戦時中に使われていたガマや佐喜眞美術館を訪れ、沖縄の歴史への理解を深めていった。
「アクション!」の声がかかると、一斉に米軍に向かって反乱を起こす沖縄県民たち。スーツを着たサラリーマンやヘルメットを被った作業員、エプロン姿の主婦など、様々な格好や年代の男女が、心の内に秘めていた感情をさらけ出していたのが印象的だ。
コザ暴動を描くにあたって大友監督が心がけたのは、いろんなエネルギーが集積していること。コザ暴動は、活動家だけでなく、職業や年齢がバラバラの人たちが集まり、自然発生的に始まっていった。米軍への怒りが全面にありながらも、飲んでいた時や夫婦喧嘩の憂さ晴らしをしたり、暴動に乗っかってその場限りの状況を楽しんだり、エイサーを踊ったり…と、沖縄の人々のエネルギーが解放される瞬間をフィルムに収めた。