ファッション界の第一線で活躍し、“エレガンス”を伝え続けてきたジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)。創設デザイナーが活躍するクチュールブランドが少なくなっていく中でも、アルマーニは変わらずモードの歴史を開拓し続け、ファッション界に大きな影響を与えた。そんな彼を人々は“モードの帝王”と呼んだ。
そのアルマーニが、2025年9月4日(木)にミラノで死去。2025年は、ブランド設立50周年という記念すべき年だった。6月に行われたミラノ・メンズ・ファッションウィークでは、体調を崩し、自身のショーを初めて欠席。その後は療養しつつも、7月のオートクチュールショーやミラノで開催したブレラ美術館での展覧会なども監督し、クリエーションに携わり続けていたという。91歳、最後の最後まで世界的デザイナーとしてあり続けたのだ。
彼がなき今、改めてジョルジオ・アルマーニの活躍を彼の言葉とともに振り返る。“アルマーニのデザインの特徴とは何なのか?”、“アルマーニがなぜここまで世界的に認知されたのか?”といった疑問も紐解きながら、ブランドスタートから現代までターニングポイントを辿り、語り継がれるべき半世紀の歴史を追う。
「ジョルジオ アルマーニ」が誕生した時代、1970年代のミラノは経済的困難を迎えていた。「ファッションデザイナーなどという柔な存在は時代錯誤」だともいわれるほどで、ファッションを楽しめるのはブルジョワ階級の人々のみ。また、ブルジョワたちの中でも愛されていたのはフランスのブランドばかりで、まだイタリアのモードやスタイルは確立されていなかった。
ジョルジオ・アルマーニ自身はというと、医学部に進学したものの兵役期間を経て以後は、ビジネスの世界へ。ミラノの百貨店でウィンドウドレッサー・バイヤーを務め、1960年代にファッションデザイナーに転身。1970年代には、フリーのデザイナーとして活動していた。
そんな中、建築家のセルジオ・ガレオッティがアルマーニに独立の話を持ち掛ける。
不安をぬぐい切れずアルマーニは悩んだが、ガレオッティのポジティブな強い後押しがあり独立を決意した。ガレオッティがマネジメントを担当し、アルマーニがクリエーター&アーティストという立ち位置で、1975年、「ジョルジオ アルマーニ株式会社」を立ち上げた。その頃アルマーニは41歳で、デザイナーとしては遅咲きだった。
後に、アルマーニは「彼の後押しがなければ会社を設立する勇気などなかった」と語っており、それほどにガレオッティの存在は大きかったようだ。
「ジョルジオ アルマーニ」がファッションの歴史に名を刻んだ“第一歩”というべきは、デビューシーズンの1976年春夏コレクションではなく、彼らのセカンドシーズンにあたる1976年秋冬コレクション。
メンズには、女性的なラインを取り入れることで上品な柔らかさを与え、逆にレディースにはメンズファッションの厳格さをもたらした。特にメンズでは、厳格に定められていたスーツの構造に自分らしさを取り入れられない“不満”に着想を得て、従来の堅苦しいジャケットの構造を解体して再解釈した。
こうしてアルマーニが提案したスタイルは“自由”であり、着る人が“自分らしくいられる”。そして着る人が自分らしくいられることによって、エレガントな服はより一層“エレガント”になるというもの。人々からの喝采を浴びたこのスタイルは、現在に至るまでずっと変わっていない。