狂言ー人間のちょっとした失敗や日常をユーモラスに描く、日本最古の喜劇。舞台装置や派手な照明はなく、役者の声と身体だけで物語を立ち上げる、シンプルで奥深い舞台芸術だ。その歴史は700年にものぼる。
「狂言」と聞くと、“難しそう”“堅苦しい”と感じる人も多いかもしれないが、実は、狂言のテーマには“笑い”が多い。狂言に登場するのは、私たちの身近にいそうな人物ばかり。日常的な事柄を題材に、人間誰しも身に覚えのありそうな心の動きや関係を、大らかで洗練された笑いとともに表現する。
能・狂言は、古典から現代まで各時代のヒット作品を取り入れながら700年続いてきた。「平家物語」や「源氏物語」といった物語をはじめ、今では「鬼滅の刃」といった漫画作品まで、能・狂言の舞台に仕立てている。
ユニークなのは、笑いにも「型」があること。狂言の世界ではただ笑うのではなく、ポーズや所作などが決まった「型」で笑いが表現される。だからこそ、観客は「ここで笑うんだ」と分かりやすく、それがわかるとその笑いはより深いものに。
室町時代から続くこの伝統芸能をいま、そして次世代へつないでいるのが、人間国宝の狂言師・野村万作と、その息子・野村萬斎。野村親子に狂言の面白さ、そして未来へ伝統をどう受け渡していくのかを話を聞いた。
狂言を一言で表現するなら?
萬斎:狂言は700年ほど前から続いてきた芸能です。成立以来、人から人へと受継ぎながらずっとアップデートを重ねてきました。だからいま古典を見ても共感できる部分があるし、”喜劇”ですから笑える。これまでたくさんの舞台に立ってきましたが、日本に限らず世界中で、演じ手も観客も一緒になって“笑いの渦”をつくってきた実感があります。
狂言は時代に合わせて進化を重ねてきたのですね。
萬斎:はい、”伝統とアップデートの積み重ね”は、狂言を見ていただく上で大切な視点です。
もともと能・狂言は、その時代のベストセラーを題材として磨かれてきました。昔から『平家物語』や『源氏物語』のようなロングセラーを土台につくられてきたんですよ。700年も続いているのは、常に“今日”を取り入れてアップデートしてきた証しでもある。いま私たちが『鬼滅の刃』や『日出処の天子』のような名作コミックを能・狂言化しているのも、その延長線上にあります。
能は“みんなが知っているヒーローやヒロイン”を演じるのに対し、狂言は「この辺りのものでござる」と言いたくなる、名前もないような“いつでもどこにでもいそうな人”を真似る。「つまみ食いしたい」「留守番の間にちょっと秘密を覗いてみたい」そんな人間のささやかな欲や間(はざま)をすくい上げる芸能です。だからこそ、私たちは狂言を“今日を映す鏡”だと思っています。
この辺りのものでござる:
そのまま「この近くに住んでいる者です」という意味。狂言の登場人物の第一声でもっとも多いセリフ。登場人物が自らを紹介する「名のり」のセリフ。
どんな風に狂言を見たら良いでしょう?
萬斎:狂言には、皆さんが心の中で密かにやってみたいと思うことを、代わりに“ドカーン”とやってしまうキャラクターがいろいろ出てきます。“ずっこける””しょうもない””どこか憎めない”ような。失敗もするし、叱られたりもする人物たちです。
でも、その姿を見て、笑い飛ばせるのが狂言のいいところ。観終わったあとにスッキリして、「人間、こうやって生きていくんだな。多少つまずいても、へこたれても明日はまた来るんだな」と、そんな気持ちを届けられたら最高です。
初心者が狂言を楽しむポイントは?
萬斎:まずは、あまり難しく考えすぎないことが大切です。
公演では物語をわかりやすく説明する「あらすじ」が用意されていたり、難しい言葉の解説もあり、入口は以前よりずっと広くなっています。セリフに早口や難語もありますが、狂言には“テンポ感”でややゴリ押しする推進力もあって、音だけでも楽しめる。だから、笑いたいときは遠慮なく笑ってください。
狂言を通して、若者に伝えたいことは?
萬斎:一番伝えたいのは、「人間は何百年たっても本質はあまり変わらない」ということ。科学は進歩し、機械も発展し、便利になっても、人間の根っこの部分、例えば「食べたい」「寝たい」「遊びたい」「もっと便利になりたい」といった執着は変わらない。これは日本だけじゃなく世界中どこでも同じです。そういう普遍に触れると、人は少し安心するのかもしれない。「ああ、こんなふうに人間は生きているんだよね」と思えるはずです。