1927年、サルヴァトーレ フェラガモが自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」を設立。
サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)はタリアカンパニア州アヴェッリーノ県ボニート生まれ。11歳で、靴屋を開業、15歳でアメリカに渡る。
南カリフォルニア大学で解剖学を修び、足を痛めない靴を製作するための手法を身に着けた。靴の製作手法に関する数々の特許も取得している。靴職人としてのこだわりを強く持ち、履き心地のよい靴を信条とし、足に触るだけで、その人の体調が分かったと言われている。
アメリカではハリウッドスターを顧客にし「スターの靴職人」と名声を得る。顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、キャサリン・ヘプバーンなどハリウッド大女優ばかりが名を連ねた。
1927年、イタリアに帰国、フィレンツェでサルヴァトーレ フェラガモを開業。大恐慌の余波を受け33年一度倒産するが、王侯、貴族や有名人の顧客を獲得して復興を果たす。その後、甲部を透明なナイロン糸で作り、革命的と言われた「見えない靴」や、ウェッジ・ヒール、フラットフォーム・ソールの靴など次々と発表した。60年、サルヴァトーレ フェラガモが死去。
※ウエッジヒール…つま先が低く、かかと部分が高い、くさび型のかかとの靴。
彼の死後もブランド、フェラガモは、妻ワンダや子供たちに受け継がれ、67年には、次女のジョバンナ中心となり、レディス、メンズのプレタポルテをスタート。現在では、バッグ、財布、香水なども含めた、トータルファッションブランドとなっている。
2000年秋冬シーズンより、セルッティ、エルメス、トラサルディなどで活躍したマーク・オディベがレディスのデザインを担当。その後、2003年春夏シーズンからは、アルマーニで経験を積んだグレエム ブラックがデザイナーに就任した。
2007年、グレエム ブラックが自身のブランドに専念するためうデザイナーを辞任。後任として、クリスティーナ オルティスがチーフ・デザイナーに就任した。メンズラインはマッシミリアーノ・ジョルネッティが手がけている。2010年秋冬シーズンよりマッシミリアーノ・ジョルネッティがレディース部門のデザインも担当することが決定。
2009年、ヨウジヤマモトとコラボレーションでシューズを発売。
2016年、ウィメンズシューズのデザイン・ディレクターとして、ポール アンドリューが就任。 同年11月17日、ギョーム・メイアン(Guillaume Meilland)がメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。2017年春夏ウィメンズコレクションでデビューを飾ったウィメンズ、レディ・トゥ・ウェアのデザイン・ディレクターであるフルヴィオ・リゴーニ(Fulvio Rigoni)とともに、3人のデザイナーによるクリエイティブ部門が完成した。
ギョーム・メイアンは、ルイ・ヴィトンメンズウェアで2002年にキャリアをスタートさせ、2007年にイブ・サンローランのメンズスポーツウェアデザインを引き継ぎ、翌年10月にランバンのメンズウェア シニアデザイナーに選ばれている。
フルヴィオ・リゴーニは、2016年9月、2017年ウィメンズ春夏コレクションのファッションショーで、グループの新しいウィメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。イタリア生まれで国際的に活躍し、サルヴァトーレフェラガモに入社する前には、プラダ、グッチ、ジル サンダー、ディオールなどで活躍していきた。
2017年、ポール・アンドリューがウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。2018-19秋冬コレクションよりデビュー。2019年2月、ウィメンズ部門のクリエイティブディレクターのポール・アンドリューがブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」全体のクリエイティブ ディレクターに就任。
2021年4月、ポール・アンドリューが退任。
2022年3月、マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)がクリエイティブ・ ディレクターに就任。
2022年9月、ブランド名を「フェラガモ(Ferragamo)」に変更。
マクシミリアン・デイヴィス(Maximilian Davis)はロンドン生まれのデザイナー。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業し、2020年に自身のブランド「マクシミリアン(Maximilian)」を設立。デビューするや否や国際的に高い評価を得て、デザイナーとしての認知を広めた。