ヴィヴィアーノ(VIVIANO)の2026年春夏コレクションが、2025年9月5日(金)、東京・渋谷にて発表された。
足取りに合わせて軽快に揺らめくフリル、弾けるようなラッフル、優雅にたなびくトレーン、身体を透かして見せる半透明の織物、馥郁と咲き匂う花柄、あるいは一瞬ごとに光を返しては表情を変えるビジュー──黒と白の二重奏のあいだに響きわたる今季のヴィヴィアーノを目にしたとき、「ロマンティックだな」という言葉が、ふと口から漏れそうになった。
「ロマンティック」という言葉を、「空想的」という意味よりも、もっと、「ロマン主義的」というニュアンスへと引きつけてみたい。19世紀前半のヨーロッパで隆盛したロマン主義とはいわば、「此処ならぬ何処か」への憧憬に特徴付けられていたといえる。そうした「何処か」とは、異国であったし、歴史や過去であったし、あるいは架空でもあった──「此処」にいながらも「何処か」を強烈に憧れる、ある種の架橋をそこに認めてもよいだろう。それは、相反する「何処か」を「此処」へと溶けこませることにほかならない。
ヴィヴィアーノの「此処」を定めるのならば、それはまず、装飾的でエレガント、色気を匂わせるドレスの数々であろう。シアー素材で仕立てられたドレスは、袖はボリュームのあるパフスリーブやジゴスリーブ、ウエストはやや高めに設定して、スカートは長くゆったりととることで優雅な量感を引き出し、そのうえ裾にギャザーを寄せることで、いっそうダイナミックな動きが現れる。全身にフリルをたっぷりと連ねたドレスや、光沢のあるファブリックで身体の有機的なラインを引き立てるワンピースも、その例に並べることができよう。
それでは、そうした装飾的なドレスに架橋する相反するもの、「何処か」とは──まず、クラシックさとは対極的なスポーティな要素だ。ポロシャツは、光沢のある素材に転換し、襟のディテールを抽出して斜めにずらすことで、華やかなトップスに。ブルゾンも、ファスナーやナンバーロゴといったスポーティな要素を取り入れつつ、やはり光沢に秀でたファブリックとボリュームのあるジゴスリーブに移し変えることで、ヴィヴィアーノの「此処」へと引きつけているのだ。
ドレスの装飾性に対して、テーラリングの抑制性も、ヴィヴィアーノの「此処」に対する「何処か」でありうる。タキシードは、黒一色の素材と構築的な仕立てはそのままに、濃密な柄を織りなすレースを重ねる。ショート丈のノーカラージャケットやスタンドカラーのロングコートは、やはり立体感あるフォルムを基調としつつ、ギャザーで華やぎを添えたスリーブやコントラストカラーの花柄を添える。とりわけ後者のコートでは、ウエストをシェイプさせつつ、バックはトレーンよろしく長さを残すことで、研ぎ澄まされたドレスの佇まいすら示すのだ。
「此処」に立ちつつ「何処か」を憧れる──そんなことを思ったのは、実は、ショー会場の席に置かれた扇ゆえであった。東洋に由来する扇は、ヨーロッパでは異国情緒を掻き立てるものであった。そうした扇はまた、空想を現実に解き放つ、一種の媒体でもありえないだろうか。「言葉に対して するに 等しく/空に向かって ただ煽ぐ 翼(はね)/来たるべき 詩句の 姿を現す/いとも優美な 住処(すみか) から」──19世紀後半フランスの詩人、ステファヌ・マラルメはこのように、揺れる扇に詩の言葉が仰ぎ出される様子を見てとった。それならば扇とは、「此処」と「何処か」を架橋するヴィヴィアーノの「ロマンティック」を、そっとほのめかしていたのかもしれない。