ニベア(NIVEA)は、ドイツ・ハンブルクの「バイヤスドルフ(Beiersdorf)」社から生まれたスキンケアブランド。現在、200以上の国・地域で販売され、日本国内では、バイヤスドルフ社と花王が1971年に合弁した「ニベア花王(株)」が展開している。
ニベア(NIVEA)のアイコン製品は、“青缶”の愛称で親しまれる「ニベアクリーム」。肌を守り、保湿することを目的とした、白色のスキンケアクリームで、1911年のデビュー以来、ラウンド型のアイコニックなパッケージに詰めて販売され続けている。特徴的な青い容器の起用は、1925年頃から。
ニベアの「ニベアクリーム」誕生のきっかけは、イザック・リフシュッツ博士が「オイセリット」と呼ばれる、スキンケア成分を開発したことから。1911年、水と油が混ぜることで、クリームの品質を安定化させる乳化剤「オイセリット」が、イザック・リフシュッツ博士によって開発され、この乳化剤「オイセリット」が、化粧品のスキンクリームの基材になることに気付いた、オスカー・トロプロヴィッツ(Oscer Troplowitz)博士が、「ニベアクリーム」を製品化させる。
「ニベアクリーム」は、雪のように白いクリームであることから、ラテン語で“雪”を意味する「nix」、“雪の”を意味する「nivis」という単語を着想源に「ニベア(NIVEA)」という名が生まれたという。
現在、ニベアは「フェイス」「ボディ」「日焼け止め」、そして男性向けの「ニベアメン(NIVEAメン)」と4つのカテゴリーに分けて、商品を展開。ドラッグストア、バラエティストアなどを中心に、日本国内では販売を行っている。
アイコン製品の「ニベアクリーム」を筆頭とする「ボディ」ラインには、ボディミルク「ニベア スキンミルク」、ワンランク上の高保湿ボディミルク「ニベア プレミアムボディミルク」などをラインナップ。「フェイス」カテゴリーは、洗顔料、クレンジングをはじめ、リップクリーム、カラー付きのリップケア「ニベア モイストピュアカラーリップ」などを取り揃えている。
1911年12月、ニベア最初のスキンケア・クリームが、ドイツ・ハンブルクで発売。
1914年、ブエノスアイレス、コペンハーゲン、メキシコ、モスクワ、ニューヨーク、パリ、シドニーなど、ドイツ国外でも展開するようになり、ドイツ国外の売り上げが、ニベアの売り上げの半分近くを占めるようになる。
1924年、ニベアの新しい広告キャンペーンとして、Wiethuchter家の三兄弟のポートレートを起用。青白く、はかなげな美しさが美とされてきた従来の美的価値から、元気で、健康的な美しさが好まれるようなる社会の変化に伴い、ニベアのクリエイティブチームは、製品デザインを一変させようと奮闘。当時の広告部門の責任者だったJuan Gregorio Clausenが、写真館でたまたま見かけた3人兄弟の写真が、“ニベアボーイズ”として広告塔として起用される。
1925年、“ニベアボーイズ”に続いて、“ニベアガールズ”発掘のため、ドイツ国内で「ニベアガールズコンクール」を実施。
1958年、自動車の発展に伴い、ビーチ文化が開花。これに伴い、ニベアは「SPF(日焼け防止指数)付きの日焼け止め剤」、「日焼け止めスプレー」「高保湿UVクリーム」「こども用UV製品」といったUVケア製品の開発・販売をスタートする。
1960年代~、国際的なリゾート地で「ニベアキャラバン」がスタート。ニベアの日焼け止め製品をビーチで販売し、購入した人には「ニベアボール」をプレゼントするイベントを開催する。この「ニベアボール」がヒットし、世界中のビーチシーンのアイコン的存在に。1960年代~、合計2000万個も製造され、スキンケア製品同様に、ニベアを代表するアイテムとなる。
1968年、世界80番目の国として「ニベア」が日本上陸。
1971年、西ドイツのバイヤスドルフ社と花王との合弁で「ニベア花王(株)」が設立。
1998年、他メーカーに先駆けて、「Q10」製品の発売をスタートさせる。この「Q10」とは、人間の体のすべての細胞内に存在する、ビタミンのような自然の物質。Q10は日光に当たるとすぐに壊れてしまうため、製品化が難しいとされてきたが、クリームの主成分とQ10との絶妙な配合バランスを見つけ、製品化を実現させる。その後、「Q10」製品は拡大販売され、現在では、ボディケア、男性向け「ニベアメン(NIVEAメン)」など、さまざまなシリーズで提案される。