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ジャンフランコ フェレ:GIANFRANCO FERRE

ブランドの始まり

1978年、ジャンフランコ フェレが自身の名を冠したブランドでミラノ・コレクションにデビュー。

ジャンフランコ フェレについて

ジャンフランコ フェレ(Gianfranco Ferre)は1944年8月15日、イタリアのルガーノに生まれる。69年、ミラノ工科大学建築学科を卒業。建築家の資格を持つ。そのためフェレの服自体も建築的な特徴がある。卒業後に渡ったインドで東洋の文化をに触れ、影響を受ける。

帰国後、当初はインテリアデザイナーをしていたが、72年からアクセサリーのデザインを手がける。きっかけは友人のアクセサリーをデザインしたことから。その後、ミラノファッション界の権威、ウォルター・アルビーニのアクセサリーをデザインしたことから、アクセサリーデザイナーとしての名声を高める。

その後、フィオルッチのTシャツデザインで頭角を現し、スポーツウェアなど服のデザインを手がけるようになる。73年、バイラ社からコレクションを任され、74年にパイラで初のプレタポルテコレクションを発表。

78年、自身の名を冠したブランド「ジャンフランコ フェレ」にてレディースコレクションを発表。

白のシャツ(白のブラウス)が人気となり、一躍有名となる。建築のセンスを活かした独特のボリュームは、見るものを魅了した。白のブラウスにこだわった理由としては「幼い頃の母親のイメージ、白のブラウスを着ていた」からでそれがミューズのようになっているから語っている。白をシンボルカラーとしたが、情熱的な「赤(インペリアル・レッド)」を使用したデザインも多く打ち出した。80年代以降には良質な素材を探求し、よりエレガントな路線へと進んでいった。

82年にはメンズコレクションを発表。80年代、各国のファッション評論家が選ぶ「ゴールデンアイ賞」を8年間で5度受賞。

89年、クリスチャン ディオールのチーフデザイナーに就任。クリスチャン ディオールのオートクチュールとレディス・プレタポルテ、アクセサリーを担当した。就任当初はイタリア人のデザイナーが、フランスの伝統的なファッションブランドのデザイナーになることに対して反発があったが、その反発をフェレは自身のデザインで跳ね返した。

1989A/Wオートクチュールコレクションにおいて、「ニュールック」をモチーフにしたデザインを発表して好評を博す。そして、90年にはフランスの「金の指貫き賞(デ・ドール賞)」を受賞した。

96年、惜しまれつつもディオールのデザイナーをジョン ガリアーノに譲る。「クチュールはディオール以外のブランドでは考えられない」と語り、以後、クチュールには携わることはなかった。

1996A/Wより「GFF(ジー・エッフェ・エッフェ)」をスタート。当初は「GIEFFEFFE」と表記していた。また、1997S/Sより「ジャンフランコ フェレ ジーンズ」をスタート。

2007年6月17日夜、脳内出血のためミラノの病院で死去、享年62歳。前日、16日に不調を訴えて倒れ、集中治療を受けたが帰らぬ人に。その1週間後に行なわれたミラノコレクションでは彼の遺作とこれまでの功績に惜しみない拍手が送られた。

フェレの後任デザイナーにはラーズ ニルソンが就任、2008年A/Wメンズ・コレクションからデザインを手がけるも、ファーストシーズンのメンズコレクションを発表後に辞任。その後、アキラーノ・リモンディのトマーゾ・アキラーノとロベルト・リモンディがレディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに就任している。

2009年、ダミアーニとコラボレーションで高級ジュエリーコレクションを発表。

2011年秋冬シーズンを最後にアキラーノとリモンディが退任。後任にはStefano CitronとFederico Piaggiがクリエイティヴ・ディレクターに就任した。

コメントおよび補足

ジョルジオ・アルマーニ: Giorgio Armani、ジャンニ・ヴェルサーチ:Gianni Versaceと並んで、ミラノモードの「3G(スリージー)」と呼ばれ、80年代後半のイタリアファッション、ミラノコレクションを引っ張りました。

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公式サイト

URL: http://www.gianfrancoferre.com/

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