プーマ(PUMA)の人気名作スニーカーを特集。「プーマ スエード」や「プーマ クライド」といった、プーマのスニーカーにおけるマスターピースを歴史と共に紹介。さらに、現行で販売されている名作スニーカーの最新モデルについてもピックアップしていく。
1960年からアスリートに向けたパフォーマンスシューズを生産していたプーマ。1970年代に入り、ニューヨークで活躍をしていたプロバスケットボール選手、ウォルト・クライド・フレイジャーのシグニチャーモデルとして生み出したのが「プーマ クライド」だ。「プーマ クライド」は、デビューした1973年から1979年までの約6年間、アップデートを重ねながら販売され、プーマのスニーカーが注目されるきっかけを作る。
そして同じく1970年代には、「プーマ クライド」と並んで、プーマの中で最もアイコニックなスニーカーである「プーマ スエード」が誕生する。発売当初は「プーマ(PUMA)」という商品名で展開されており、後に“プーマのスエードの靴”という呼称がそのまま商品名になったという経緯を持つ一足だ。
同時期にはさらに、今なお高い支持を得るスニーカー「オスロ シティ」や、「プーマ コートスター」の原型となる「ヴィラス ハード コート」も市場に登場している。
「ヴィラス ハード コート」はアルゼンチンのテニスプレーヤー、ギレルモ・ヴィラスのシグネチャーモデルとなっており、テニスの服装規定に合わせる為、白を基調に差し色程度にゴールドやグリーンのカラーを加えている。
1980年代には、ニューヨークのブレイクダンサーやヒップホップカルチャーの要素を取り込んだ映画『BEAT STREET』の出演者がこぞって「プーマ スエード」を着用していたことから、ストリートシーンで愛用されるようになる。
その後1990年代前半になると、アメリカのストリートシーンで人気が出たことをきっかけに「プーマ スエード」の評判は海を越え世界へと広がる。当時のロンドンやニューヨークの音楽シーンでの支持などを得て、更に「プーマ スエード」は人気スニーカーとしての地位を固めていくこととなった。
新たなシーンでプーマのスニーカーが注目される中、1985年には、当時のNBAスター選手ラルフ・サンプソンのファーストシグニチャースニーカー「ラルフ・サンプソン」が登場する。ラルフ・サンプソンの人気と共に注目を集めた「ラルフ・サンプソン」は、1990年代以降においてもプーマの“裏定番”スニーカーとして愛される存在となる。
1990年代序盤に発表した「ディスクブレイズ」は、シューレースの代わりにダイヤルを回してフィット感を調節するプーマ独自のシステム“ディスクシステム”を搭載。1990年中期に日本で起こった“ハイテクスニーカーブーム”において存在感を放った。