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ハリー・ウィンストン:HARRY WINSTON
ブランドの始まり
1920年、ハリー・ウィンストンがプレミア・ダイヤモンド社をニューヨーク五番街535番地に設立。その会社を基盤に32年にハリー・ウィンストン社を設立。
ハリー・ウィンストンについて
ハリー・ウィンストン(Harry Winston,1896-1978)は、アメリカのニューヨーク生まれ。宝石商の息子として生まれる。
ハリーは幼少の頃から宝石の価値を見抜く力があり、質店で安く売っていた石の中から800ドルの価値があるエメラルドを見つけ出したと言う。ハリーが15歳のときには一家はロサンゼルスに移住。そこで父親が宝石店を開き、ハリーはそこで仕事を始める。
1920年、24歳のとき「プレミア・ダイヤモンド社(The Premier Diamond Company)」をニューヨーク五番街に設立。
第一次世界大戦後、ヨーロッパ貴族が資金集めのために売り出したジュエリーを購入、それを当時の流行に合わせてリメイクし、価値を付けて売却する手法でビジネスを成功させる。(貴族の持つジュエリーは価値のあるものだが、先祖代々伝わるような古いものが多かった。)世界の上流階級層が所有する宝飾品を取り扱う宝石商への道を進んでゆく。
1932年、プレミア・ダイヤモンド社を閉鎖して自身の名を冠した会社「ハリー・ウィンストン社」をニューヨーク五番街に設立。宝石のリメイクや売買に加えて、ジュエリーのデザインを本格的にスタート。その後、リメイク、デザイン、売買で功績を上げ「キング・オブ・ダイヤモンド」よ呼ばれるようになりジュエリーの世界で確固たる地位を築き上げる。
「ウィンストニアン・スタイル(ウィンストン・スタイル)」と呼ばれる宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーでつないで、留め金の使用を極力抑え、あたかも宝石だけが散りばめられているかのような手法は、ジュエリーの輝きをあらゆる方向に散りばめるもので、宝石の美しさを最大限に引き出すものであった。この革命的な「ウィンストニアン・スタイル」はハリー・ウィンストン」の代表的な商品となった。
1943年、アカデミー賞の授賞式に着用するジュエリー貸し出しを、他の宝石ブランドに先駆けて提案。ハリウッドスターの身に着けるジュエリーは現在でもアカデミー賞ファッションの目玉となっている。
1958年、ルイ14世やマリー・アントワネット等の有名人が所有し、所有者を不吉な運命に導いたという世界最大(45.52カラット)の青いダイア『ホープ(希望)』を手に入れ、アメリカ国民のためにとスミソニアン博物館に寄贈。64年にも世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石の完璧な結晶体「オッペンハイマー」を同博物館に寄贈している。
1972年、ダイヤモンド原石のなかで、史上3番目の大きさの970カラットの「スター・オブ・シエラレオネ」を購入。ジュエリー・ カッターのラザール・キャプランにより、総計で238.43カラットの重量をもつ、総数17個のダイヤモンドにカットされる。
1988年、ハリーウィンストン社は時計部門を新設。1989年、腕時計シリーズ「アルティメイト・タイム ピース」をスタート。1994年、貴金属ロジウムを使った腕時計「ガラテ」を製作。
2004年、ハリー・ウィンストンがアバー・ダイヤモンド・コーポレーションに買収される。アバーはティファニー社に年間最低5千万米ドルのダイヤモンドを販売するカナダ最大級のダイヤモンド・マイナー。
2006年2月、表参道ヒルズ本館1階に表参道ヒルズ店をオープン。デザインは、「自由の女神」の修復を監修したフランス人建築家、ティエリー・デスポンが担当。
2007年、メンズジュエリーでトム・ブラウンとコラボレーションを行う。
コメントおよび補足
20世紀に入るとヨーロッパの貴族制が崩壊し始めます。うまくビジネスにシフトできれば良いのですが、うまくいかない貴族は収入源が減ってしまいます。そうするとどこかで資金を調達しなければいけないという流れになります。そのターゲットとなったものの1つが資産としてもっていた宝石です。
貴族の家系に古くから伝わる豪華な宝石が世に流出しだします。この流れのなかでハリーは持ち前の目利きの良さを活かし価値のある宝石を貴族などから買い取ります。
このように資産性の高い石の大きなものを取り扱ったことにハリーの成功の要因の一つといえるでしょう。そのような商品は高額で、売り手がつくかどうか、傷、盗難などリスクが高いと言われていましたが、ハリーは丁寧にリメイクし、よりモダンな形に変え付加価値を付けました。
このようなハリーですが、自分より美しい宝石を見て欲しいという想いから、生涯自分の顔写真をマスコミに公開しなかったそうです。宝石の美しさや価値を誰よりも知っていた人だったようですね。