ニコラ・ジェスキエールはルイ・ヴィトンのレディース アーティスティック・ディレクター。
ニコラ・ジェスキエール(NICOLAS GHESQUIERE)。1971年、フランス生まれ。ファッション専門学校等で正規の教育は受けていない。
高校時代からコリンヌ・コブソン、アニエスベー等で経験を積み、高校卒業後、19歳でジャンポール・ゴルチエの元で働き始め、2年間ゴルチェのニット部門のアシスタントデザイナーとして働く。その後、ティエリー・ミュグレー、ステファン・ケリアン、トラサルディでヘッドデザイナーを務る。
95年頃からフリーランスでバレンシアガのライセンス部門の仕事を手がける。
ジョセフュス・ティミスターが一時バレンシアガのデザインを手がけるが、不評で辞任、その後、未知のデザイナーであったジェスキエールが、わずか26歳で抜擢される。当時、ジェスキエールは日本のライセンス・パートナーのためにゴルフウェアなどをデザインしていた。
デビューコレクションの98S/Sは、衝撃的な印象を残し、ブランドが新しく生まれ変わったことをアピール。 2000年10月、ニコラ・ジェスキエールはVHI・ヴォーグファッション・アワードで「アバンギャルド・デザイナー・オブ・ザ・イアー」受賞。1年後の2001年、CFDAのインターナショナル・デザイナー・アワード(国際賞)と「ウーマンズ・ウェア・オブ・ザ・イアー」受賞。
ジェスキエールの才能とブランドとしての歴史的価値に目をつけた、PPR傘下(現ケリング)のグッチのグループ(トム フォードとドメニコ・デ・ソーレ)は、2001年、バレンシアガを買収。グループは事業拡大の戦略を打ち出し、世界の主な首都に旗艦店をオープンしていく。これにより本格的に老舗ブランドが復活していく。この買収には、ジェスキエールの才能を評価してのものと見られている。
バレンシアガは、2001年、バックと靴のラインを発表、2002年、メンズラインを発表し展開を広げている。ジェスキエールは「僕は(低迷する)バレンシアガを救ったが、バレンシアガにも(ファッションデザイナーとして)救われた」とコメントを残している。
2013年、バレンシアガのデザイナーを辞任(なお、後任にはアレキサンダー ワンが就任した。)。同年、ニコラ・ジェスキエールは、マーク ジェイコブスの後任として、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターに就任した。