ヴィヴィアン・ウエストウッド:Vivienne Westwood
ブランドの始まり
1971年、ヴィヴィアン・ウエストウッドがマルコム・マクラーレンとともにブティック「レット・イット・ロック(LET IT ROCK)」をオープン。後に自身の名を冠したブランド「ヴィヴィアン・ウエストウッド」を発表。
デザイナーについて
ヴィヴィアン・イザベル・スウィア(Vivienne Isabel SWIRE)は1941年4月8日、イギリスのダービーシャー生まれ。
絵が得意で画家志望だったが、生計を立てるためにアート専攻の教師の道に進む。「ウエストウッド」という姓は教師をしていたころに結婚した一番初めの夫のもの。以後「ヴィヴィアン・ウエストウッド」と名乗る。
2児の母であったが、ビートルズ、ミニスカートを着て有名になるモデル、マリー・クワントの影響を受けて大学に入り直す。(歴史を専攻)新しい時代の流れに押された形で決意。大学時代に出会ったのがマルコム・マクラーレン。彼は反体制派でヴィヴィアン・ウエストウッドは大きく影響を受ける。
71年12月、マルコム・マクラーレンとともにキングスロード430番地にブティック「レット・イット・ロック(LET IT ROCK)」をオープン。マルコム・マクラーレンのファッションセンスは進みすぎており生産する引き受け手がいなかったためヴィヴィアン・ウエストウッドが生産するようになる。これがファッションデザイナーになるきっかけとなる。
72年、店名を「Too Fast to Live, Too Young to Die」に、74年には「SEX」に、76年には「Seditionaries」に変更。
マルコム・マクラーレンは、ショップ「SEX」に出入りしていた若者に、ヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインした過激な服を着せて反社会的なロックバンドとしてデビューさせた。これがセックスピストルズ。セックスピストルズあらゆる意味で革新的で、パンクムーブメントを引き起こす。セックスピストルズと、パンクとともに「ヴィヴィアン・ウエストウッド」のデザインはパンクファッションとして、一つのジャンルを築き上げる。
79年には、ブティック「ワールズ・エンド」をスタート。歴史に興味を持ち、70年代後半から、過去のファッションの研究を始め、イギリスのクラッシック、トラディショナルとの融合を追求してゆく。こうして徐々にアンダーグラウンドから表舞台に上り詰めていく。
83年、パリ コレクションに発表。 86年、フランス革命からヒントを得たミニ丈の「クリノリン・スタイル」を発表。87年、「ハリスツィード」を発表。88年には「タイムマシン」を発表。1991S/S、フローレンスで行われた「ピッティ・ウオモ(Pitti
Uomo)」で独立したメンズ・コレクションを初めて発表。
93年、レディースウェア部門をファーストラインの「ヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールド・レーベル」とセカンドラインに「ヴィヴィアン・ウエストウッド
レッド・レーベル」に分割。1998 S/Sから「アングロ・マニア」をスタート。 96年、メンズウェアライン「ヴィヴィアン・ウエストウッド
マン」でミラノコレクションに初参加。 98年、ファーストフレグランス「ブドワール(Boudoir)」を発表。 2000年、セカンドフレグランス「リバティン(Libertine)」を発表。
日本での展開
ヴィヴィアン・ウエストウッドは現在、化粧品などのコスメ商品、財布、バッグ、ネックレス、ピアス、リングなどのアクセサリー展開などを展開。アクセサリー類は持ち味のアバンギャルドなデザインに可愛らしさを加えて、20代の女性を中心に人気を得ている。
公式サイト
Vivienne Westwood
http://www.viviennewestwood-tokyo.com/
ショップ情報
ヴィヴィアン・ウエストウッド青山(旗艦店)
渋谷区神宮前5-49-2
03-5774-5939
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