ノワール ケイ ニノミヤ(noir kei ninomiya)の2023年秋冬コレクションが発表された。
ノワール ケイ ニノミヤの今季のコレクションは、「NOIR IN BLOOM」と題されている。その意味をひとまず「黒は花盛り」とでも取っておくならば、「黒」と「花」という、このコレクションを特徴付けるふたつの要素を抽出できる。色彩を消去した、花の造形の模倣、あるいは擬態である。
そもそも黒い花を、普段はなかなかお目にはかからない──まったく存在しないわけでもないけれども──。咲き乱れる花に見惚れ、そこに何がしかの意味──たとえば花言葉──を見出したくなるのは、多かれ少なかれその色彩の豊かさゆえでもあるだろう。翻って無彩色たる黒は、色彩の馥郁たる意味を否定し去った先をその意味の源泉とする。色彩の豊かさが落ち込む暗がりの底こそ、逆説的に黒の豊かさを育んでいるのだ。
だからここでは、色彩以上にまず、花の造形が前面に現れる。随所に散りばめられた花の装飾はもちろん、花はまた衣服の構造を統治するものでもある。ドレスは、あるものはシンプルにAラインを描き、あるものはドレープを幾重にも連ね、あるものはチュールやネットを重ねる。花が、がくに支えられて花弁が冠をなし、その中には雄しべや雌しべが蝟集するという、よく見ると多重的な構造を取っていることをさながら反映するかのように、ドレスもまた豊かなレイヤー構造によってその造形を豊かなものとしているといえる。
花のグロテスクとでも呼ぶべきものである。そういえばシュルレアリスムの写真に、動植物をズームアップで撮影した作品があったことを思い出す。カラー写真の存在しない当時、そこにはカメラのレンズを通して捉えられた植物の細部が、さながら異形のオブジェとしてモノクロームで写されている。人間的なスケールでは無意識の底に沈まざるをえない自然の造形が、カメラを介して析出されることになる。
だから、ノワール ケイ ニノミヤの衣服はある意味で、このような無意識のレンズとして作用している。漆黒のオーバードレスの下には、色彩豊かなドレスが蠢く。網目の束縛からはじけるかのように、バルーンの膨らみが鼓動する。あるいは繊細なネットの下には、褶曲しては立体的なフォルムを描くメタリックなパーツが踊り乱れる。ここでは、花の奥深くに秘められた躍動感が、静かに、しかし力強く表れている。
そしてこれは、花の擬態である。花の内部構造さながらに多層的なドレスや、あたかも数多の雄しべを外に向けて曝けだすかのようなピースは、衣服、そしてそれを身にまとう者が、花になり変わっているさまを示しているように思える。ここでイニシアティヴは、花を模倣する人ではなく、人を飲みこむ花にある。花を愛でるのではなく、ここではただ、1輪の花のように身を震わせるほかないのだ。