パコ・ラバンヌ:Paco Rabanne
ブランドの始まり
パコ・ラバンヌが66年、ブランド「パコ・ラバンヌ」を設立。
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ブランドについて
パコ・ラバンヌ1934年 スペイン、バスク地方生まれる。父は軍人でフランコ将軍を相手にセンチを転々としていた。(最後は捕らえられて銃殺される)5才の時、内乱でフランスに亡命。ピカソの絵で有名なゲルニカへの空爆(スペイン内戦)を経験し、その後に、スペインを離れた。ラバンヌはスペインで起こった悲劇、恐怖を後にも引きずっている。
17歳でパリに渡る。52年、美術学校に入学、建築学を学び、そこで後のテーマにもなる素材との出会いがあった。彼は硬質の無機素材に魅せられたという。ラバンヌの中では、その幾何学的で硬質な素材に美しさを見出す。ここから有機的な柔らかい素材を相手にした、パコ・ラバンヌなりの手法が生まれる。
生活費を稼ぐために、アクセサリーデザインをしては、バレンシアガ、ディオール、ジバンシー、シャネルのメゾンに売って生きていたという。また特殊な素材で作ったボタンやイヤリングを開発し、家族で製造していた。こうして従来のやり方にない、パコ・ラバンヌの工学技術的な手法が磨かれ、業界内で一目置かれる存在となる。また、服(アパレル)のデザインも徐々に取り入れ始める。
66年、ブランド「パコ・ラバンヌ」を設立して、超前衛的な手法でオートクチュールデビューを果す。特殊な素材を使用して服の基本となる「縫う」という行為を否定するかのようなデザインを発表した。彼は、針と糸ではなく、ペンチや接着剤を服作りに使用した。(まさに鎧のようなドレス)
これは女性の社会進出、エクゼクティブ層への進出(女戦士)を象徴、冷笑するかのようなデザインで、世間をあっと言わせた。その後も紙を使用したものなど素材への探求を続ける。
イヴサンローラン、ピエールカルダン、クレージュらと共にオートクチュールを
引っ張った。また、自身のデザイン活動を振り返り「新しい素材で武装したとてつもない戦い」と振り返っている。
69年、香水、後にアクセサリー、プレタポルテに進出する。
90年、デ・ドール賞を受賞。1994年、プレタポルテをクリストフ・ドゥカルナンとオーレリィアン・トランブレーがデザインを担当。96年には香水、服飾の両部門でユニセックスのセカンドライン、パコを発表。
99年A/Wパリオートクチュールコレクションをもってオートクチュール部門の活動を停止することを発表した。
2005年、ペリーエリスでデザイナーの経験がある、パトリックロビンソンがアーティスティックディレクターに就任。しかし、翌年の2006年、パコ・ラバンヌを所有するスペインのPuigファミリーはパコ・ラバンヌのファッション部門を閉鎖することを決定。現在は香水部門をメインにブランドを展開している。
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