ムッシャン(mukcyen)の2025年秋冬コレクションが発表された。
刻々と流れる時間は、人の外部に厳としてあって、いかなる場所でも同じように進んでゆくのだろうか。無数の時計に囲まれて生活をしていると、過去から現在、未来へと飴のように伸びる時間が、客観的に実在するように思えてくる。ところが実際に生きられる時間とは、ときに長く、ときに短く感じられる。そればかりでない。過ぎさった時──文字どおり「過去」──を想起することなしに、自分というひとつの存在を定めることはできないだろうし、いまだ来らざる時──「未来」──を思い描くことなしに、今を生きることができるだろうか。時間とは人にとって、生と縺れあって紡がれるものであり、複雑に錯綜してやまない。
今季のムッシャンが目を向けたのが、このアナクロニズム──人の生と呼応し、錯綜したかたちで現れる、時間の曖昧な在り様であったといえる。このイメージをムッシャンは、過去を回想すると現れるも、明晰に像を結ぶことなく消えさってゆく「残像」という言葉で言い表している。そして、朧げな「残像」を意識する契機となったのが、ポーランド映画の巨匠ヴォイチェフ・イエジー・ハスによる『砂時計』であったという。
『砂時計』の舞台は、とあるサナトリウム。主人公のヨーゼフは、療養中の父を見舞うも、ふと窓から外を見やると、そこは自身の幼少期の光景となっている──このように、『砂時計』において時間の流れは錯綜してやまない。残像のごとく、明晰な姿から逃れてやまないその在り様は、今季、溶けるようなシルエットと素材感、色彩の階調をとおして表現されている。たとえばマキシコートを見れば、力強いショルダーとダブルブレストというクラシカルな面持ちながら、スリーブを柔らかなベルベットで仕立てるなど、シルエットの揺らめきが引きだれていることを見てとれよう。
明晰なラインから逃れ、絶えず揺らめき、その時々で変化してやまないシルエットは、とりわけニットに顕在化している。カーディガンやドレスなどには、シボ感を帯びたニットを用い、身体にすっと沿うことのないオーバーなシルエットを描きだす。そのうえ、非対称なフロント、袖先にはボタンを連ねることで、不定形なフォルムと自在に変幻してやまないレイヤーを生みだしているのだ。
こうした曖昧さは、素材や色彩にも見出すことができるだろう。ボリューミーなスリーブとショートな丈感で仕上げたブルゾンなどには、リップストップに掠れるようなフロッキー加工を施すことで、朧げな雰囲気を表現。レザードレスには随所にカットアウトを施すほか、大胆なタックやコルセット風のディテールを取り入れたデニムジャケットなどは風化したようなグラデーションで仕上げるなど、決して明晰なイメージを結ばぬ「残像」の在り様を、いたる要素に反映させている。