カナコ サカイ(KANAKO SAKAI)の2025年秋冬コレクションが発表された。
完全性とは、人が抱く幻想ではなかろうか?──デザイナーのサカイカナコは、こう問いかける。サカイが例に挙げるのは、雪の結晶だ。なるほど写真で目にする雪片は、さまざまに形を変えるけれども、いずれも六花に開いては全き均整を示している。けれども、天から舞い落ちる現実の雪は、不規則に結晶し、そのうえ手に取ればたちまちに溶け去ってゆくというように、脆く儚いものであろう。
完全性とは、ある単線的な発展があって、その到達点ないし理想として仮構される、不変で厳たるものである、とでもいえるだろう。けれども実際には、実在するものは絶えず移ろってやまず、その時々に偶然的な表情を織りなす。それは、自然を移ろいの相の裡に捉えようとする日本の伝統的な感覚に目を向けてきた 、サカイの姿勢と通底しているのではなかろうか。
サカイにとって、このように時間とともに移ろい、不規則な形を示す例が、先に挙げた雪、長い時間をかけて形成される鉱物、そして緑青を帯びゆく青銅器であった。今季のカナコ サカイでは、得意とするテーラリングを中心に、こうしたモチーフを素材やディテールへとうつしだしてゆく。たとえば、雪。雪片を彷彿とさせるレースの断片は、キャミソールドレスやワンショルダーのトップスを織りなし、ミドル丈のトレンチコートには、あたかも雪がきらめくように、ビーズ刺繍を散りばめた。
雪とともに、自然のなかに見出せる移ろいの例が、鉱物だ。その不定形さときらめきとを反映するのが、ファンシーツイード。ピークドラペルの洗練されたシングルブレストジャケットや、すっきりとしたラインを描くスカートは、ラメ糸を織りこんだファンシーツイードで仕立てるとともに、その裾にダメージを施すことで、歪な表情を引き出している。
サカイが挙げるもうひとつの着想源が、青銅器である。雪や鉱物とは異なり、青銅器は人の手によって作られるけれども、自然の営為と同様にして、自然の経過とともに変化し、緑青の力強い色彩と歪な肌理を呈する。カナコ サカイは、その斑らな色彩と光沢を、力強いニードルパンチで表現。温かみのあるウールに、艶やかなベロアやベルベットを重ねたファブリックを、構築的なダブルコートやショート丈のボンバージャケットに用いた。
繊細なレースを断片化する。華やかなツイードにダメージを加える。端正なテーラリングに歪な表情をもたらす。今季のカナコ サカイには、綺麗なものをあえて壊すという力強さが表れている。それは、外側から課せられる枠組みを打ち破らんとする、サカイの姿勢にほかならない。「完全性」に対するサカイの再考を、そこに看取できよう──そもそも「完全性」というものなどはなく、個々のものは、個別に厳として存在しているはずだ。けれども、ひとたび「完全性」なる枠組みができあがると、人は「完全性」のフィルターを介して、そこから外れるもの、溢れるものを「不完全」であると捉えてしまうのだ。だからこそサカイは今季、全き均整から零れ落ちる歪さ、偶発的な移ろいに目を向けることで、「完全性」という外側からの規定を、内側から解体することを試みているといえるだろう。