タム(Tamme)の2026年春夏コレクションが発表された。
タムが今季、テーマとしたのが、「after hours」──仕事を終えたのちの時間──であった。職場で定められた装いに1日を働いて過ごし、草臥れて、身なりも些か乱れた、退勤後の姿。そうして脱ぎ捨てられた衣服には、皺や癖がついている──そうした身体の痕跡は、仕事で規律的に定められた装いゆえにいっそう、その衣服を着用した個人の在りよう、パーソナリティを浮かびあがらせるのではなかろうか。
タムのデザイナー・玉田達也はこのように、規律のなかに生きる個人が出会うことになる、摩耗の感覚をすくい上げる。つまり、働く場で定められる装いの特権的な例である、テーラリングとワークウェアをふたつの軸に、そこから滲みでる個人の姿、あるいは「乱れ」を具現化するのだ。
たとえば、フォーマルな装いを代表するといえるテーラードジャケットは、ハリのあるウールを用いつつ、あえて全面に皺感のある表情を帯びさせる。また、不規則な染めとシワ加工を施したナイロンのブルゾンやショートパンツ、随所に色落ちをかけたデニムジャケットやデニムパンツにも見るように、テーラリングとワークウェアの双方において、個人が着用するにつれて現れる「乱れた」表情を、加工によって表現しているといえる。
ただしそこでは、あくまでユニフォーム──制服を指すこの語は、言わずもがな均一的という意味を持つ──からの逸脱、差異に目が向けられているという点で、規律の存在が前提されている。玉田は実際、規律は人が人と生きるうえで必要なものだと語っている。それは現代の社会において、家族や地域共同体に支えられた関係性が失われ、インターネットに代表される情報技術が生みだす流動的な関係性が台頭するなか、人と人とを繋ぐ関係性を確かめねばならないからであろう。「subject(主体)」と「subjection(従属)」という言葉に見るように、個人とは関係性のなかに立ち現れるものだと言ってもよいかもしれない。
タムにとって衣服とは、だから、このように人と人との関係性を媒介するものではなかろうか。そこからの逸脱に、タムは、個人が滲みでる契機を見出す。そして逸脱とはしばしば、異なる規律のあわいに見出される──ダブルブレストジャケットにミリタリージャケットのフロントを重ね、あるいは無地のシャツの襟元にはストライプシャツが覗くというように、相反する要素の交錯をつうじて、タムは規律のなかに生きる個人の姿を紡ぎだしているように思われる。