イッセイ・ミヤケ:ISSEY MIYAKE
ブランドの始まり
1970年に三宅一生が「三宅デザイン事務所」を設立、71年、「ISSEY MIYAKE」としてニューヨーク コレクションを発表。
デザイナーについて
三宅一生(ISSEY MIYAKE)は1938年、広島県に食料品店の長男として生まれる。広島の原爆を時下に経験。10歳のころ骨髄性の病気を患い、今でもその後遺症を引きずる。高校時代は美術部。
三宅は26歳で多摩美術大学を卒業後、フランスにパリに渡る。シャンブル サンディカル ド ラ クチュール パリジェンヌに入学。その後、ギ・ラロッシュ、ジバンシーのメゾンに入る。(イッセイ・ミヤケ自身はバレンシアガの元で働きたいと希望していたが、68年にバレンシアガが引退してしまいその夢は叶わなかった。)
69年、ニューヨークへ渡り、ジェフリービーンのもとで経験を積む。パリではエレガントな技巧、ニューヨークでは機能と実用性を重視する服作りを学ぶ。
東京に戻り70年に「三宅デザイン事務所」を設立。71年、「ISSEY MIYAKE」としてニューヨーク コレクションを発表。73年、パリでプレタポルテ・コレクションを発表。
84年と89年に毎日ファッション大賞を受賞。88年、「プリーツ・プリーズ(PLEATS PLEASE)」と銘打ってプリーツのラインを発表。98年、フランス・リヨン大学名誉博士号を受賞。
99年よりチーフデザイナーを滝沢直己(ナオキタキザワ)に引き継ぐ。2000年、日本芸術大賞、ジョージ・ジェンセン賞、第18回毎日ファッション大賞・ミレニアム記念賞を受賞。
2001 S/Sより、全方向伸縮のストレッチプリーツが特徴のTシャツのライン、「me ISSEY MIYAKE」を発表。
2007年S/Sを最後に滝沢直己がイッセイミヤケのデザイン活動を引退。2007A/W以降は藤原大がチーフデザイナーとしてイッセイミヤケのデザインを引き継ぐ。(滝沢直己)は2008年S/Sから自身のブランドを設立する。
現在、イッセイ・ミヤケグループには「ZUCCa」、「TSUMORI CHISATO」などがある。
公式サイト
Issey Miyake
http://www.isseymiyake.co.jp/
コメント
イッセイ・ミヤケといえばプリーツが有名です。プリーツの生地を裁断して仕立てるのではなく、服のスタイルを先に作ってから特殊技術でプリーツ加工することで体に着きも離れずもしない特有の綺麗なシルエットを作ることに成功しました。これは世界をあっと言わせます。そのごツイストと呼ばれるプリーツに展開させますが、これはプリーツに不規則な「しわ」を作り出したものです。このような特殊なプリーツですが、型が崩れなく、移動など持ち運びにも適しています。
「特定の金持ちではなく、より多くの人を魅了する服を作ることを目標とする。」と本人も語りますが、イッセイ・ミヤケの服は着心地のいい、どこか暖かい感じがして、かつデザイン性がある、これが特徴です。値段も手が出ないほど高くはありません。
店舗の販売員の方の接客も非常に印象がよく、熱心にイッセイ・ミヤケの服について説明してくれます。服に対する愛情と、暖かさがにじみ出ています。 |